トップ > 将軍塚について

将軍塚の夜景を見られた方は多くいらっしゃると思いますが、本当に将軍塚に行かれているでしょうか。東山ドライブウェイの頂上に、無料駐車場と展望台があります。周辺では、ある程度市内が見えますし、夜景も綺麗です。しかし、そこは本当の将軍塚ではありません。展望台といっても小規模なものしかありません。市の駐車場から北へ百メートル程行きますと、門が見え、青蓮院の飛地境内である将軍塚大日堂があります。
中には「将軍塚」という直径約20メートル、高さ約2メートルの塚があります。又その名の通り、大日如来をお祀りした大日堂があります。境内は外からは想像もつかないほど広大で、四季を通じて、いろいろな美しさを楽しませてくれます。
桓武天皇は都を奈良から京都の南方、長岡に移されましたが、いろいろと事故が続きました。この時、和気清麻呂は天皇をこの山上にお誘いし、京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨進言しました。天皇はその勧めに従って延暦十三年(794年)、平安建都に着手されました。
天皇は、都の鎮護のために、高さ2.5メートル程の将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じられました。これが、この地を「将軍塚」と呼ぶ由来です。
この「将軍塚」は、国家の大事があると鳴動したという伝説が、源平盛衰記や太平記に残されております。
また、延元年間(1338年頃)には新田義貞がここに陣を敷いて足利尊氏の軍を敗り、また近くは太平洋戦争にここが高射砲の陣地にもなりました。将軍塚は、「強者どもが夢の跡」でもあります。
乃木大将、東郷元帥、菊池大麓、大隅重信 等の明治の元薫のお手植の松が植えられた、石柱や石碑が後継の松と共に残され、偉人達がこの地から京都の町を見下して、豊かな日本の国造りを心に誓ったのではないかと想像されます。
将軍塚一帯の山頂にあります。ここの御本尊は平安時代に作られた石造の胎蔵界大日如来で、碑のあるところに埋もれていたものを、お堂を造り安置しています。風雨で削られたお姿は、歴史を感じさせます。古来より「大日さん」として信仰されており、幕末勤王の志士は、身の安全をこの像に謝したそうです。
大日堂北面の枯山水庭は、造園家 中根金作氏の作庭です。
暖かくなると椿、彼岸桜から始まり、桜・桃・藤・つつじが咲き競います。秋には、もちろん紅葉が素晴らしく深紅に染まります。冬の空気が澄んでいる時は、遙か遠方まで見渡せます。今はまだ、地元の人やタクシーの運転手さんしか知らない京都観光の穴場的なスポットになっています。是非一度、足をお運び下さい。こんな場所が在ったのかと感動されると思います。

境内地には、大きな展望台が二カ所あります。北展望台と西展望台というのですが、西展望台は高さがなんと十数メートルあり、京都全市街繁華街を眼下に見下ろすことができます。又北は北山より以北、南は大阪の方まで見渡せます。北展望台は、境内地の最北にあり、西展望台から見えにくかった、将軍塚から比叡山にかけての東山連峰がよく見えます。遥かに高く見えるのは比叡山で、大比叡が向かって左に、小比叡が右に、二つの峰になっています。小比叡の下に大文字山の「大」の字が斜に見えます。前には銀閣寺、浄土寺、法然院等があります。鴨川の向こうの大きな緑は御所です。
どちらの展望台も京都全市街の展望を欲しいままにすることができます。













