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9月護摩のお話し

朝夕涼しくなって、夏の暑さがなつかしく感ぜられます
連休の最終日、ようこそお参りくださいました。
昨夜は大変美しい月夜でしたが、残念ですが今日の満月は一寸無理かもしれませんね。
先月8月27日、伊藤和也さんがアフガ二スタンで、タリバーンの手により拉致され、31歳の若さで不慮の死を遂げられました。本当に悲しく、そしてやり場のない怒りを感じました。
不毛の地に潅漑用の水路を作り、薩摩芋の栽培を指導し、4年6ヶ月に渡り、熱心にアフガ二スタンのために尽くされたのに、そして現地の人々に非常に慕われていたというのに。
後の報道で知りましたが、タリバーンは現地の人々、何百人が追っ手となったことで危険を感じ、返って逃走のため、伊藤さんを殺害したようです。
伊藤さんはアフガンのためになることを、文字通り心身を捧げて尽くされ、またその伊藤さんに対しアフガンの人々が心から感謝していた状況にもかかわらず、外国人の介入を一切受け入れないタリバーンの狂信的な教義の犠牲になられた分けです。
私はなんとも云い様のない怒りと無力感に落ちました。
ベトナム戦争の泥沼が終息した後、退官した当時のマクナマラ国防長官はベトナム戦争はアメリカの誤りであったことを率直に回顧録で認めています。ベトコンを掃討するための枯れ葉作戦や、現地人の拷問等々、似たようなことが、アフガンやイラクで、行われているようです。
私は今アメリカを中心に行われているタリバーン掃討作戦以外の方法、つまりタリバーンとの和解や相互理解への弛まざる不断の努力こそが、根本解決の道だと思います。日本政府は伊藤和也さんの死を無駄にすることなく、直ちに根本解決の道を世界へ発信して欲しかったと思います。
福田総理大臣はただ深い哀悼の念を示されただけでしたが。
天台宗の開祖伝教大師は、弘仁9年(西暦818)天台法華宗年分学生式(ねんぶんがくしょうしき)を嵯峨天皇に奏上しました。この学生式は奈良の既成の仏教から、天台宗が完全に独立するための根本精神を唱えたものです。
その根幹にある教えが、「己を忘れて他を利するは慈悲の極みである」です。
国の宝とは何か。それは宝石やお金ではなく、人材である。優れた人材が国を指導し、有能な人材が国を豊かにする。人材こそ国の宝であると説かれ、人材を養成することを強く説かれました。
その中で最も優秀な人材とはどのような人かというと、それは自分のことを考えず、全てをすてて他人のため、人のためにに尽くす人である。と説かれました。
そのような人が国を指導し、またそれぞれの分野でそのような人が力を尽くしていくことを目指す宗教であることを宣言されました。
まさに伊藤和也さんの生き方そのものが、この精神の実践です。伊藤和也さんはまさに伝教大師の教えの実践であります。
この行いを菩薩行といっています。まさに伊藤菩薩であります。
私はアフガンの現地の人々の心の中に、この伊藤菩薩の教えがしっかりと、脈々と流れていると思います。
伊藤和也さんは亡くなりましたが、伊藤菩薩の教えは、決して忘れられずに、アフガンに生き続けると、私は思います。またそのように私は確信するものです。
そしてこの伊藤和也さんの菩薩行を我々日本人はもっともっと高く称え、決して忘れずに、そして少しでも己に向けて問うことが大切だと思います。
今日護摩供に参拝され、それぞれご自身の願いを込めて、祈願されるのですが、毎月の護摩で私が申し上げているように、ご自身のことだけを願わないでいただきたい。ご自身を含めて自分を取り巻く方々に思いを込めて、自分は何が出来るか。願っていきましょう。
               門主  慈光  拝

カテゴリ: 門主のお話 | 2008年09月15日 | コメント(0) | No Trackbacks

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