青蓮院ブログ

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6月護摩のお話

こんにちは。初夏の爽やかな天気に恵まれました。
今日の満月が楽しみですね。

最近ネットを見て知ったといって、20代、30代の若い世代の方が、満月護摩の日をちゃんと調べてから参拝されるようになってきました。ありがたいことだと思っています。
仏教はどの世代の人にとっても、私は大変大切な教えだと思っていますので、若者が来てくれるのはすごくうれしいです。

秋のお不動様のご開帳について。

期間は9月18日から12月20日までですが、その間はお不動様を宸殿内陣に特設の厨子を設けて奉安します。
護摩供を毎日、午前、午後にお勤めしますので、期間中の10月、11月、12月の定例の月護摩は宸殿にてのご参拝となります。

9月16日には来賓をお招きして、開闢法要を営みます。月護摩にご参拝の信者さんにはご案内しますので是非ご参拝ください。

今日のお話は、足利事件の菅家さんについてです。

こんなにも、悲劇的なことはありません。17年8ヶ月無実の人が自由を奪われました。
警察、検察、裁判所。司法の全てが、権力と面子を振り回した結果だったと思います。

この事件を私は、大変身近に感じています。
あの足利の園児さんが通っていた保育園は、私どもの天台宗のお寺の経営する保育園だったのです。

その住職さんとは、私は懇意にしていますし、天台宗内でも、要職にある方です。
5月の初旬に、住職さんの話を聞いたものから、菅家さんは近い内に無実が証明されて、釈放される見込みと聞きました。

この住職さんは、菅家さんが警察に検挙された最初から、この人は真犯人ではない、この人は絶対違うと確信したそうです。

実は菅家さんは、このお寺の保育園の園児の送迎のバスの運転手さんだったのです。
もう十年以上お勤めしていて、住職さんは良くその人を知っていて、絶対そんなことをする人でない。

そして事件後本人に会って、顔を見ただけで、絶対に彼はやっていないと確信したそうです。
そこで、住職さんはそのことを警察や、保育園の園児の保護者や、お寺の役員に話したそうです。
そして終始一貫、彼の無実を信じて、支援する側に立って来たそうです。

ところが、この事は住職さんにとって大変な重圧となったのです。
なぜ菅家さんを支援するんだ。立場が違うだろう。周囲からものすごい非難を浴びることになりました。

住職さんは、「私の心情でそう思う。」といって、今まで貫き通してきたそうです。
私はこれを聞いて、本当にこの方はお坊さんなんだと、思いました。住職さんには仏様の目が開いていたんですね。立場とか周囲にとらわれずに、偏見や思い込みのない、素直な目で、菅家さんを見る事ができた。

警察は、犯人をでっち上げてでも、事件を解決することに執心したとしか考えられません。

警察は、この住職さんのような、目を持っていなかった。
検挙されてから、最高裁で刑が確定するまで、検察も、裁判官も、誰一人この目を持っていなかった。

さらに問題は最高裁で争っていた時に、DNA鑑定の再請求が退けられたことです。

科捜研が当時のDNA鑑定は、充分なものではないと認めていたにも拘わらずです。

なぜ、それだけ無実を訴えるのなら、試しに再鑑定してやろうと、思わなかったのか。

今回は再審請求の高裁の判事の再鑑定してやろうという判断がなかったら、全ては闇に葬られる可能性がありました。

私は、この事件を担当した、全ての人間が厳しく反省しなければならないと思います。

仏教の懺悔です。

最高裁判所の判事の国民審査が選挙の時に国民に与えられています。

私は、菅家さんの刑を確定した最高裁の判事の名前を、この際公表すべきではないかと思います。

青蓮院は平成5年、赤軍派ゲリラの放火によって貴重な文化財の茶室を全焼しました。
その当時私はまだ僧侶でなく、一般の企業に勤めていましたが、緊急事態に対処するため
門主をしていた高齢の父を助けるため、休暇をもらい青蓮院に駆けつけました。

その事件は、同時多発ゲリラで、三千院と他の神社の三箇所が同時に放火されました。犯行声明もあり
我々は明確な被害者だったのです。刑事は当然そのことを認識している客観的状況でした。
ところがこの若い刑事が、門主と私を机の前に座らせ、まるで放火の犯人を取り調べる態度で厳しく調書を
とりました。私はあまりのことに驚き、放火の犯人に対する怒りの収まらない心に、さらに別の怒りが沸き、抑えることが出来ませんでした。

私は今でもその若い刑事の顔を覚えていますし、このことを思い出す時怒りが憤然と再燃してきます。
警察とはこういうものだという確信を持ちました。いまでもそれは変わりません。それほど強烈だったのです。

今回の足利の事件を思うとき、このことが私の心の中で一つになるのです。

この次に書くべきことを私はあえて書きません。

司法に携わる人が、人としての謙虚さを持ち、常に自らを振り返り、反省するゆとりを持ってもらいたいと思います。

仏教の教えの大切さを思います。

また仏教の教えを、混迷するこの現代に広める責任を感じます。                 慈晃 拝。


カテゴリ: 門主のお話 | 2009年06月08日 | コメント(1) | No Trackbacks

5月護摩のお話

今日は4月に続いてすばらしい天気に恵まれました。1年中でこのような日は数少ないです。
今日の満月が楽しみですね。

今日は何をお話ししましょうか。
今まで出来るだけ毎回違うお話をするように心がけています。

青蓮院では、仏式の結婚式をお受けしています。
最近の若い方々は大変個性的ですね。式はしっかりとやりたい。しかし披露宴はごく内輪の親族さんや、ごく親しい人たちだけが集まって老舗の京料理で食事会をする。

ありきたりのものや、お決まりのものでない、いわば手作りの、自分達だけの、思い出になる結婚式が増えているような気がします。

一つには青蓮院の静かな雰囲気が気に入られているからのようです。

私は、当日ぶっつけ本番で、なにも解らない内に終わってしまってはいけないと思いまして、必ず事前の別の日にご足労願ってお会いし、当日行う結婚式の内容を分かりやすくお話しすることにしています。

ご本人や親族さんを含めて一緒にお誦えする箇所がたくさんあるのですが、表面的にただ単に読んだだけに終わってしまっては意味が無いと思っているからです。

幾つかのことをお誦えする中で、「三帰を授ける」があります。

これは、仏、法、僧の三宝に帰依(きえ)することを、お誓いするのです。

帰依とは、何かと云いますと、深く信じて従っていくことです。
仏様と、仏様の教え、そして僧侶を信じて従っていただくのですが、若い方々に突然このようなことを云っても難しいので次のように、お話ししています。

仏様とは、お釈迦様そして、多くの仏様となる訳ですが、よほど信仰のある方でない限り若い方々に急に、仏様に帰依せよと云われたって困ると思われるでしょう。

仏様とは、もちろん仏教の説いている「悟り」「覚者」であり、めざすべきですが、難しいことです。

そこで若いお二人に云うのですが、お二人にはそれぞれご先祖がいらっしゃる。そしてそのご先祖あっての今がある訳ですが、そのご先祖は皆、成仏していらっしゃる。みな仏様なんですね。ですからそのご先祖を信じて従って行く、ということです。

そしてもう一つ、仏教では、それぞれ一人一人の心の中には仏様がいらっしゃる。ただ人間の場合は、仏様の心も持っていますが、人を憎んだり、うらやんだり、怠けて、楽をして、いい結果をだけ取りたい、といった悪い心も同時に持っています。
どちらかというと悪い部分の方が比率が高い。そこでこのご自分の中にある、仏様の心を信じて、そしてそれに従っていきましょう。とお話しています。

ある学者さんの研究が新聞にでていたのですが、人間の脳の中で、ねたみを感じる部分があるのですが、ある実験で、受験者にねたみを起こす事例を体感させて、脳のその箇所が活動している時に、今度はそのねたみを起こす対象の人等が、何か失敗したり、不幸になったりすることを聞かせますと、どような変化が起こるか。

この実験では、その人の脳の快感を感じる箇所が活発に反応したそうです。つまり人の不幸を喜んでいるんですね。
強弱に個人差はあったそうですが、これは人間の心の働きの避けがたい、どうしようもない部分なんですね。

今日、丁度、私のところに、娘の方のもう直ぐ3歳になる孫の男の子と、息子の方の1歳を過ぎた孫の女の子がいます。

もう孫かわいさでほんとうになんでもOKとなってしまうのですが、見ていると、3歳の男の子の持っている、大切な玩具を、下の女の子が興味を示して使おうとするんです。その時男の子の方は、遠くの方にいてもものすごい速さで戻っていって使わせないように、取り上げるんですね。
3歳ですから、少し物事の良い悪いが分かってきていて、貸して上げなさいね、と云われることは充分理解はできているのですが、絶対に従わないんですね。

つまりこれは人間の本性として持っているものだと思います。
大きくなれば、色々判断ができて、この気持ちを自制することは出来ても、本質にはこの本性を消すことは出来ないんですね。

つまり人の心の中の仏性、すなわち仏様の心は、誰でも持っているんですが、どちらかと云えば力が弱いわけです。安きに流れやすい、怠けたり、少しでも楽な方を選び勝ちです。そちらの誘惑の方が強い。

お不動様にお参りして、護摩のご祈祷に来られる皆さん、是非ご自身の持っていらっしゃる仏様のお心を強く持てるように、お不動様のお力をもらってご自身の諸願成就を目指していただきたいと思います。  慈光 拝。

カテゴリ: 門主のお話 | 2009年05月09日 | コメント(0) | No Trackbacks

4月護摩のお話

今日は。すばらしい天気に恵まれて、桜が丁度満開の見ごろです。

明日は将軍塚の、青不動ご開帳記念桜植樹祭が催されますが、晴天の予想で満開の桜をご堪能頂けると思います。雨も無く花冷えが続いていたのが幸いでした。

今日、私はこの満月護摩供と明日の植樹祭のため、比叡山の「御修法」に参勤中のところ下山してきました。

毎年この時期の4月4日から11日まで比叡山延暦寺に篭って、国家安泰、皇室の安寧、世界平和を祈願する特別の大法要があります。京都にある天台宗の門跡寺院のご本尊を順番に修法して行きますが、今年は妙法院門跡の普賢延命法です。平成19年は青蓮院の本尊の熾盛光如来でした。

1日3座、早朝5時起床、6時から、夕方4時半まで、1回1時間から2時間半の密教の修法を勤めます。一心にお勤めをしてきましたので、その功徳を今日は皆様にお分けしたいと思います。

普賢延命法といいますのは、簡単に申せば、長寿、延命を祈願するとともに、様々な災いから逃れることを願います。

その昔、この修法を始めた当時は、今のような高度な医療も発達していませんでした。多くの人は、寿命も短く認知症になる前に様々な病気で死んでしまったと思います。

従って長寿、延命を願う思いは今以上に強い願望であったと思います。現代の我々はあまりにも医療が発達して、自然な死を迎えることが難しくなっていると思います。

その意味では、現代の普賢延命法で祈願することは「元気で長生き」をすることであると思います。単なる延命が個人の尊厳にふさわしいのか。昔この修法を修した時のほうが人間として幸せだったかもしれません。

当時は、死への恐怖、生への執着は、現代よりもっともっと切実なものであったと思います。

一心にお勤めしていて改めて考えさせられてしまいました。

今日、私が叡山で、天台座主により門跡や大寺の住職と一緒に一心に祈願してきましたことを皆様にお分かちしたい、それは「元気で長生きする」ことです。

修法の中では、長い長い呪文を、お唱えします。これも回数が多いほど良いので、早く唱えることは大変です。今お教えしますので、一緒にお唱えして「元気で長生きする」ことを念じましょう。

思うことは、念じることは、必ず実行に繋がります。「元気に長生きする」ために自分にとって大切なことは何かと、自然に考えることに繋がります。

例えば足腰の老化を少しでも食い止める。腰が一番
大切です。

今晩の満月はすばらしい。「元気に長生きする」と思いながら見てください。

門主 慈晃 拝。

カテゴリ: 門主のお話 | 2009年04月09日 | コメント(0) | No Trackbacks

3月護摩のお話

今日は。3月の満月護摩です。

今日は寒の戻りで寒い日になりましたが良くお参りいただきました。今夜の満月はきっと凛とした美しさだと思います。

先月の護摩の時にご案内した、今秋の青不動さまのご開帳記念さくら献木植樹は、昨日の10日が締め切りでした。ご参拝の皆様はじめご縁の方々のお申し込み多数ありがとうございました。

枝垂桜は樹齢500年位と云われていますので、銘板に彫られたお名前が桜とともに子々孫々まで残ると思います。
円山公園の桜の孫桜ですので、植樹する将軍塚の場所からいって将来京都を代表する有名な桜になるでしょう。

先月の護摩の時、仏教の教えの「無常」についてお話しましたが、今日はそのことをもう少し掘り下げてみたいと思います。

無常とは常で無いことです。

我々はややもすると今の状況がずっと続くと思いがちです。そして未来は今を前提にしてその延長線上にあると予測しています。

明日も今日と同じ様に生きていて、予定があり、目標がある。それが当然と思っています。

しかしながら仏教では、我々は刹那に生滅しているとしています。直前の自分が死んで今また新たに生まれている。死と生は隣り合わせで繰り返している。

過去と現在と未来は継続してつながってはいないのです。過去と未来とは刹那刹那に切り離され、今と云う瞬間のみに自分が存在しているのです。

生まれてから現在まで、我々の身体は新陳代謝を繰り返し、死に向かって確実に変化しています。昨日と同じではないのです。我々を取り巻く森羅万象もことごとく一時の猶予なく変化しています。

つまり諸行無常です。諸々の事象は一時も同じではないのです。

今起きている世界の経済金融恐慌はまさしく諸行無常の実例の1つと云えます。

それでは我々は今を刹那的に生きれば良いのでしょうか。

仏教では我々は無常であると同時に、縁によって今があると教えています。

一番身近な縁は両親によって自分があること。そしてその両親には又それぞれ両親があって、無限に遡って繋がっています。

それぞれの両親にそれぞれの人生があり、その人生には多くの人や事象の係わりがあった。つまり縁があった分けです。

その最後の結果として自分が存在していることは、自分では想像のつかない無限の縁の結果として、今があるということだと思います。

そして未来の縁にたいしては、唯一自分の意思が影響を及ぼすことができるのです。

自分がこうしたい、こうありたいと思うこと、によって次の刹那の今の自分が、新しい縁を回りの人や事象と結んでいくのです。そこには直前の自分とはまた違った縁が生じるのです。

良く人生は出会いといいますが、ただ出会うのではなく、出会う前に既に自分の意思が働いてその出会いに至っているわけです。

先ほどAさんの息子さんが、難関の高校に見事合格されたことを聞き、まさにこの縁のことに当てはまると思いました。
もちろん心からおめでとうを申し上げ、お不動さまのご加護に感謝しました。

Aさんは、息子さんを厳しく躾ておられましたが、ある大学を目指して、この高校でなければと一校に絞って受験させるのだと、先月の護摩の時に云われていました。

つまり不合格になったら多分高校には進ませないんだな、とその時私は思いましたが、息子さんには大変なプレッシャーだなと思いました。

これはAさんの強い意志であったことは間違いないですし、それを受けて息子さん自身も合格を目指して強い意志を持って精進したと思います。

その結果が見事合格となりました。

さらに息子さんはステップアップして、憧れの大学に入りそこで良い先生にめぐりあい(縁)、大きな研究や、発見をするかもしれません。

仮に不合格であったら、一校に絞ったというAさんの意思によって、高校、大学へと進学することを息子さんは断念させられて、違う人生の出会い、つまり縁に繋がっていくことになったでしょう。

このように、今をしっかりとした意思をもって生きることが、未来の縁を否応無く決定していくことになります。

お不動さまへの祈願で今日お参りいただいた皆さんは、それぞれの願い、つまり強い意思をお持ちで「今」があります。

そのようなお気持ちでしっかりと念じていただきたいと思います。

ただし、いつも申し上げるように、その思いや願いが、自分だけの幸せや利益のためだけでなく
できるだけ、ご自分以外の人やためになるよう願っていただきたいと思います。

それでは満月の護摩供をお勤めいたします。 門主 慈晃。


カテゴリ: 門主のお話 | 2009年03月11日 | コメント(0) | No Trackbacks

2月護摩のお話

今日は。初護摩からもう1ヶ月。

経済情勢は悪化の一方です。自動車各社や、家電、商社等、日本を代表する大会社の決算予想が軒並み最悪です。トヨタは創業以来そして戦前の昭和16年以来、初の営業赤字。パナソニックが赤字3800億円、1万5千人の人員削減。等々・・・・。

今後、本決算が確定する頃には、事態は更に深刻になっている可能性があります。

このようなことを平成19年夏、問題が表面化した時一体誰が想像できたでしょうか。

浅間山の噴火のような自然界のことも、人の未来でも、一寸先は何が起こるか誰にもわかりません。
しかしながら我々は、いままでの経験の流れという予想の範囲で行動し、何事も右肩上がりになっていくことを知らず知らず前提にしてしまいます。

人生は過酷で、苦難に満ち、経済不況の他にも、病気や、失業、家庭不和、裏切り・・・。
そのような地獄にはまり込んでしまうと、これ以上不幸なものはいないと自分をどんどん追い詰めてしまいがちです。

経営の神様と云われた松下幸之助さんの「不況克服の心得十か条」の第一条は、
「不況またよし」と考える。と教えています。

不況に直面してただ困った困ったと右往左往していないか。
不況こそ改善発展のチャンスと前向きの発想から、新たな道が開ける。

十円玉は普通に見れば円形ですが、真横から見れば、極めて細長い長方形です。

お不動様のお力をいただいて、ここにご参拝の間、一心に祈念していただく中で、ご自分を追い詰めずに、前向きの思いを強く持って、つらいと思うご自分の執着から離れてください。

現実という事実を変えることはできませんが、その事実に直面している自分は変えられるのです。

仏教はこの世の中の全ての営みは無常であると説いています。
つまり常で無い。全ては変わって行く。一瞬一瞬、刹那刹那が予想もできない違うものであると。

だからこそ、刹那刹那を、つまり一刻一刻を大切にしていこう。と説いています。

ここでお話は終わりますが、お願いがあります。

青蓮院ではこの秋、9月18日から12月20日まで、ご承知のように、この青不動様の青蓮院での
初のご開帳を計画しています。これは以前から東山山頂境内地の将軍塚に青不動様をおまつりする
大護摩堂の建立とそこを拠点にさまざまな活動を行っていく運動の一環でもあります。その資金を
広く皆様からご寄進によりいただいておりますが、ここで、さらに多くの方々にご縁を広げ
一刻も早い実現を目指すためのものであります。

この度この時期に全国に向けて活動されている、桜を植える会様より、このご開帳を記念して
桜植樹の献木をしませんかとのお話がありました。丁度時期にあった良いお話と思い進めております。
どうぞご協力いただけませんか。

普通はお1人づつ小さい苗木を植樹していただき、お名札を付けるのですが、今回青蓮院では
樹齢25年の樹高7メートルの枝垂桜1本を、皆さん共同でお植えいただくことにしました。
そしてお名前が銘板に彫られます。枝垂桜は樹齢500年位は普通ですので、子々孫々までお名前
が残ります。

この枝垂桜は、桜で有名な佐野藤右衛門さんが、円山公園の有名な枝垂桜の孫にあたる種の実生
から丹精こめて育てた銘木で、桓武天皇が都を定める決心をされたと伝えられる由緒ある将軍塚境内地
のほぼ中央に植えられます。

ご賛同の方は、青蓮院までネットのブログで見たとご連絡ください。詳細お知らせします。
よろしくお願いいたします。

それではまた3月11日の満月護摩でお会いしましょう。
門主 東伏見慈晃。九拝。


カテゴリ: 門主のお話 | 2009年02月09日 | コメント(1) | No Trackbacks

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