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2月護摩のお話し

2月の満月護摩をお勤めしました。

 連日寒い日が続いています。
インフルエンザが流行っていますし、風邪を引かれた方も多いのではないかと思います。今年は例年になく寒いようです。庭の手水鉢もよく凍ります。大雪はありませんが頻繁に雪化粧しますね。

 寒い中を良くお参りいただきありがとうございます。

 この2月15日はお釈迦さまの涅槃に入られた日です。各お寺で、様々な儀式や法要をお勤めのことと思います。
私共では、京都の天台宗寺院が真如堂に集まり、涅槃会を行っています。

 お釈迦さまは涅槃に入られる前に次のお言葉を示されました。

 「自灯明、法灯明」です。

 決して他を拠り所とせず、自らと法を、灯明とせよ。ということですが

この意味を私なりの理解でお話しさせていただきました。

 灯明とは、お仏壇や、仏前にともす明かりですが、周囲を明るく照らすことで、よりどころということです。

 つまり自らを灯明とすると云うことは、自らを拠り所とせよ。と云うことです。

 全ては私だけ。

 私が聞いて、感じて、思う。

 私がなければ全てない。

 様々に世界が動いても、私の目、耳、鼻、舌、身体、心で感じるものが全てである。

 安倍さん、オバマさん、プーチンさん、習近平さん、がいます。
またオスカーのスター達、また大震災で苦しみの中にいらっしゃる人々、様々に世界は動き、複雑でとらえどころがない。しかも全ての現象が移ろいで行く。

 でもそれらを、私の目や心で感じ、私がはたらきかけ、関わっている現実に向かっているのは貴方でなく私でしかない。

 私が死ねば全ては見えなくなる。

 逆に私が死んでも、他の世界はそのまま未来に向けて進行していき、歴史が刻まれて行く。

 でも生きている私は貴方ではない。私。つまり私以外の「他」ではない。

 だから 決して他を拠り所とせず、自らをよりどころとせよ。と説かれています。

 しかし、その「自ら」はよく見てみると、極めて不安定で、絶望したり、欲張ったり、怒ったり、怠けたり、とても拠り所とするような代物ではなさそうですよね。

 でも人それぞれに仏性といって、尊い心や、暖かい心、向上心を持っています。
 しかしどちらかと云えばそれは弱い。

 釈尊はその弱い心をしっかりと大きくして強くもつこと、そしてその弱い心を拠り所とせよということだと思います。

 その弱いものを強く引き出すために、お不動様がいらっしゃる。

 強く引き出すために 「法」がある。
法、つまり 「仏さまの教え」を拠り所とせよ。と云われたと思います。

 さらに難しいことを云えば、釈尊の法、教えの中心は慈悲です。
慈は自分の一番大切なものを、惜しみ無く他に与えること。
悲は他人の苦しみ、悲しみを全て引き受けること。
 慈悲は自分を捨て、全てを他のために尽くすことであり、釈尊は、それが真の幸せへの道である。と説かれています。

ほとんど我々の普段の行動の逆のところに真の幸せがあるのですが、究極の法灯明は、この実践にあるのです。
 我々は少しでもその気持ちを持って行きたいと思います。

今夜の京都地方、雨の予報です。

残念ながら満月は見れません。

慈晃 拝。

カテゴリ: 門主のお話 | 2013年02月26日 | No Trackbacks

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